第6章 はげましを受けて育った子は自信を持ちますー①

If a child lives with encouragement,
He learns confidence.
     「アメリカインディアンの教え」(加藤諦三著・扶桑社)

励ますことのむずかしさ

  カーネギーの著書に、地上最大の小売業者になったウールワースの事が書かれています。それによると彼は1年の半分をはだしで過ごす貧乏な農夫であったようです。21歳のときに店を持ちたいと、馬にソリを引かせてニューヨーク州に出かけていきます。もちろん雇ってくれる店は一軒もありません。しかし奴隷扱いのようなむごい扱いに耐えて彼は生き続けました。
 さんざん苦労して失敗を重ねて自身を失っているときに、母は彼をだきしめて「絶望してはだめだよ、いつかはお金持ちになるからね」と言ったそうです。
 この励ましが彼の自信を育てたのでしょう。またこんな母親は、子供がもしお金持ちになれなくても、それはそれで立派であると信じて、息子を励ませる親です。
 さて、彼は始めは食料品を仕入れておく貨物倉庫に、雇ってもらいます。それでも給料は払ってもらえません。払ってもらえるようになっても時給3セントで1日15時間こき使われたのです。やがて彼はアイディアをつかんで銀行から借金をしますが失敗してしまいます。
 そのような中で母の励ましがどれほど彼を支えたことでしょう。母は彼が成功しても失敗しても彼を大切に思っていたに違いないのです。
 またマックギニスの著書にある女性歌手のことが書かれています。彼女はニューヨークのタウンホールで早すぎるデビューをした黒人歌手でした。批評家たちは彼女を酷評しました。彼女は恥にまみれて故郷のフィラデルフィアに帰りました。彼女の失意は1年以上続いたのです。
 しかし彼女の母はあきらめませんでした。母は彼女を励まし続けました。そんなある午後の日の励ましの言葉が、彼女の心を深く動かしたのです。「マリアン、素直な心がなければ偉大な人にはなれないわ。失敗をくよくよするかわりに、うんとお祈りしてはどう?」そしてこの偉大な声楽家は当時を振り返ってこう語っています。
「私の声がどうであれ、信じる気持ちが私をあそこまで支えたのです。信じる気持ちと、素直な心がなければ偉大な人にはなれないわ、と言った母の言葉を」励ましが必要なのは失敗したときです。しかし励ましが必要な時に、人はその人の側から逃げていき、励ましが必要ないときにその人のもとによってくることが多いのです。
 ここに例としてあげた母たちは、皆が子供から逃げていく時にこそ子供を励ましたのです。励ますことはやさしいでしょう。難しいのは、それが必要なときに励ますことです。
 親戚の人を見返すために、子供が有名校に入るように「励ます」親は、子供が失敗したときには子供を憎むようになります。

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第5章 心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなりますー③

If a child lives with tolerance,
He learns to be patient.

「安心」が我慢を育てる
トウヒの木

 我慢強いということは、心の成長の一つの大切な指標です。このような立派な父親に育てられた子供は当然のことながら心も成長しているはずです。
 小さい頃、時を得て優しく子供をなでる親の手は、将来どれほど大きな力を子供から引き出すかわからないのです。
 それに比べて、何かうまくいかなかった時、鬼のような顔でにらみつけられたり、深い失望のため息吐かれたりした子は、ものごとにおじけづいてしまいます。小さい頃安心して座っていられる膝の上があった人は幸せです。それが後にどれほどその子供を我慢強くするかわからないでしょう。
『アメリカインディアンの教え』(加藤諦三著・扶桑社)

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第5章 心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなりますー②

Wishing you a Happy Father’s Day!

父の背中が懐かしくなると、開くページがあります。
眠っていた記憶を呼び覚ましてくれるのです。

力の源は何時も親

 1982年クオモという人物がニューヨーク州知事選に立候補したときの話です。対立候補は圧倒的な資金力を持っていました。クオモはきっと負けると何度か思ったということです。そんな運動期間も残り少なくなったある夜のことです。クオモは気落ちしたまま日記をつけようとしていました。鉛筆を捜して机の中を捜すと、父親の古い名刺が出てきたのです。
「その名刺を見ているうちに父親の思い出が蘇ってきた。父親はアメリカに渡ってきたときには英語を話せず、やっとの思いで下水溝を掘る仕事についた。最後に小さな24時間営業の食料雑貨店を手に入れ、移民の一家はそこの裏で長年暮らした。」父親の名刺をじっと見つめた後クオモは日記に次のように書いています。少し長いのですが引用してみましょう。
「私がこう言えば、パパは何と言っただろうかと思わずにはいられない。『疲れたよ』あるいはー万が一にもー『もう気力がないよ』と言ったら。
 とりわけある場面のことがはっきりと蘇る。私たちの家族は店の裏からホリスウッドに引っ越したばかりだった。はじめて自分たちの家を持ったのである。周囲にはいくらかの土地もあり、立木まであった。そのうちの一本は大きなブンゲツトウヒの木で、四十フィートはあっただろう。
 越してきてから一週間足らずの頃、ひどい嵐があった。その晩私たちが店から帰ってくると、そのトウヒの木がほぼ完全に地面から抜けて前に倒れていた。その強い枝が道のアスファルトの上で折れ曲がっている。私たちのトウヒの木が嵐に敗れ、まるでマットに頬をうずめているさまを見ると、みんなの心は沈んだ。しかしパパはちがった。
 父はたぶん、靴のかかとがすりへっていなければ五フィート六インチ程度、たっぷり食事していれば百五十五ポンド程度の小男だった。しかし、フランキーと私とマリーとママを全部合わせたよりも力持ちだった。
 私達は通りの真中に倒れた木を見下ろした。雨が降っていた。二、三分考えをまとめたあと、パパが言った、『よし、こいつを引き起こすぞ!』「何言ってんの、パパ?根っこが地面に出ちゃっているんだよ』『うるさい、ひきおこすんだ。ちゃんとまた根づくさ』
 その言葉にどう答えていいかわからなかった。パパにはノーと言えなかった。父親だからというより、パパがひどく断固としていたからだ。
 そこで私達はパパについて家に戻り、あるだけのロープをさがしたあと、アスファルトに倒れたトウヒの木のてっぺんにロープを結び付けた。パパと私が家のそばからロープをひっぱり、フランキーが雨の降る通りで木を押し上げた。するとまたたく間にトウヒの木は再びまっすぐに立ったのである!
 雨がまだ降りつづくなかで、パパは根っこの下の土を掘り、穴がだんだんひろがるにつれて、木はすこしづつ沈んで安定していった。それからみんなで根っこに土をかぶせ、上に石をのせて動くのをふせいだ。パパは地面にくいを打ち込み、幹からロープを張った。二時間ぐらい過ぎていただろうか。曲がった枝をロープで伸ばし、まっすぐに立ったトウヒの木を眺めて、パパは言った。『心配するな、またちゃんと育つさ』
 ひきだしから見つけたパパの名刺を見つめながら、私は声を上げて泣きたかった。いまあの家の横を通ると、高いまっすぐのプンゲツトウヒの木が見えるはずだ。六十五フィートはあるだろう。アスファルトに鼻をつけたことなど一度もないような顔をして、そいつは天に向かってすっくと立っている。
 私はパパの名刺を引き出しに戻し、なにくそと力をこめて閉じた。選挙運動に戻るのが待ちきれなかった。」
 クオモはその後、州選挙知事選に勝利しました。
 子供というのはおそらく親の直接の説教よりも、親の生き方から学ぶのです。私は臆病な青年でした。しかし何度父親から「忍耐、豪胆」と教えられたかわかりません。
 子供は親から「我慢強くなければいけない」と教えられて我慢強くなるわけではないのです。マックギニスはこのクオモの日記の後で、このクオモの頑張りの源は移民の父親であったと書いています。
               「アメリカインディアンの教え」(加藤諦三著・扶桑社)

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第5章 心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなります―①

If a child lives with tolerance,
He learns to be patient.

寛大な親とは

  マックギニスは著書のなかでケネディー家の事に触れています。ケネディー大統領が次のように父親を語ったというのです。「水泳教室がいくつもあります。そのたびに1年生の選抜があって、僕はよくそれに出ていました。父はいつもそれに応援にきたものです。いつもかならずね。兄弟全部に父はそうしていました」。そしてマックギニスはその解説に、「子供を励ましてできるだけ多くの目標に挑戦させ、こんな形で付き合ってくれる父親がいたら、子供の将来は大きくちがってくるだろう」 と、言っています。
 しかしこのようなことはちょっと考えるだけでも大変なことです。子供がしたいことを励ますのであって、親が子供にさせたいことを、やるように励ますのではないのです。子供を自分の望むように変えようというのではないのです。
 子供を励ますことを、子供を自分の望むように変えることと勘違いしている親は多いようです。子供を変えようとするのではなく、子供をありのままに受け入れるためには大変な忍耐力、寛大さが必要です。子供の才能に非現実的な期待をかけたりしないことなのです。

 心の寛大な人の中で育った子供は、我慢強くなります、という「寛大」の元の言葉はtoleranceです。他人の考えなどに寛大なことであり、また他人の間違いなどに寛大なことであり、また他人の間違いなどを我慢することです。

未成熟な親とは

 情緒的に未成熟な親は、子供の自然な成長を待てないと言います。もともと子供は自己中心的で、いろいろなことに我慢できるものではありません。しかし、そんな子供の自然に耐えられない母親が多いのです。そこで、ついつい子供の年齢にしては無理なことを要求してしまいます。
 親の心が寛大であるときには、子供は自分の望みを発見できます。自分の望みが親の期待に反するのではないかということを恐れる必要がないからです。また寛大な親にとって、子供の自我の成長は脅威ではないでしょう。
 親と子供がいつもケンカしているのは、お互いに相手を自分の都合良いように変えようとしているからです。心が寛大とは、子供が自分の期待と違った望みを抱くことを許せる、ということです。

「アメリカインディアンの教え」(加藤諦三著・扶桑社

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第3章 ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります―②

自己主張をするために

 人にとりいろうとしてそのように行動し、他者否定的で高慢な人間に気に入られているとします。しかし、心のどこかでなんとも頼りない感情がわきおこっています。
 ところがある日、私はこうして欲しい、こうしたい、ということをはっきり言ってしまいます。それが嘲笑われたり無視されたりすることなくまともに対応された時、心のなかに、頼りがいのある何かが芽ばえるのです。自分が自分のなかの何かを頼りに生きていけることがわかってくるのです。
 おわかりでしょうか。他人ではなく自分を頼りに生きていく、このことに直面しなくては、不快なことを不快と感じることはできません。幼い頃からからかわれ、自己主張のできない人には、このことはとても難しいのです。

強さを身につけるには

 私が幼い頃からスローガンのようにいつも言わされていた言葉が3つありました。「豪胆」、「忍耐」、それに「従順」でした。そんななかで、私は宗教団員のように「従順」を求められ、教え込まれたのです。「従順」な私はいつも嘲笑われました。
 そんな家があるのだろうか、と疑問を持てる人は、幸せな人です。忠誠を尽くした相手に嘲笑われることなく、自己否定的な交流を身につけてしまうこともなかったのでしょうから。
 幼い頃から、自分の願いや要求が嘲笑われたり無視されたりすることなく、まともに対応されて育った人、つまり母親から愛されて育った人は、自然に人としての強さを身につけていくのです。

『アメリカインディアンの教え』(加藤諦三著・扶桑社)

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第3章 ひやかしを受けて育った子ははにかみ屋になります―①

If a child lives with ridicule,
He learns to be shy.

子供をからかうことの罪

 カーネギーをはじめ多くの人が、人間の最も大切な願望の一つとして、自己重要感を上げています。自分が、社会や誰かにとって必要なんだと感じたい気持ちです。ところが、からかうということは、この大切な気持ちを傷つけることになります。相手を軽く見ているからこそ、からかうという行動にでるのすから。これほど子供の気持ちを傷つけることはないでしょう。にもかかわらず、案外大人は子供をからかって遊びます。子供のほうでも親にからかわれることを喜んでいるかのようにふるまう時があるのですが、実は、子供は親の歓心を買うために、自分で自分を傷つけているのです。
 一方でからかっておきながら、他方で意欲的な人間になってもらいたいというのは「手足を縛って水の中にほうりこんで泳げというようなもの」です。

自分を笑って追いつめる

 交流分析という分野には「絞首台の笑い(Gallows transaction)」なる言葉があります。自分の首に縄がかかっているという絶体絶命の状況にありながら、笑うなどという馬鹿げた行為で縄を締めてしまうという破壊的な笑いです。失敗や不幸に対する笑いは、すべてこの「絞首台の笑い」です。この笑いをする人は、自分が笑われる立場であることに甘んじています。「馬鹿げた失敗で他人の笑いを誘い、自分を軽蔑させる」という交流です。道化者を演じ、それを他人に笑われることで満足するのです。「医者から注意されているのにまた酒を始めた。」とか「暗い道でドブに気づかずにケガをした」などというのがそうです。そして「これは敗者にみられる交流だ」ともいわれています。
 こうした人は、自分の失敗を自分でクスクス笑って相手にとりいっています。また失敗をしてみせて他人に笑われることで、自己否定的な自分を確認するのです。さらには、笑われることで他人との関係を維持しようとまでします。
 彼らは自分が愚かでなければ他人に気に入られない、と無意識のうちに感じているのです。身近な人間の愚かさを嘲笑うことで満足するような親に育てられた子供は、当然こうした面をもつようになるでしょう。小さな子供は、親の関心を引く方法をいつもさがしているものです。そのためならば、自分を傷つけることもしてしまいます。こうして子供は自己主張のできないはにかみ屋になっていくのです。

『アメリカインディアンの教え』(加藤諦三著・扶桑社

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第2章 敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦います―②

山ねずみが子供が小さいときに読んでおきたかった本があります。『アメリカインディアンの教え』です。

他人の成功を喜べる心

 それまで生きることがじゅうぶんに楽しめなかった私が30代になって楽になれたのも、自分が負けているということを認めたからです。そんな気持ちをおさえつけている愚かさがわかったからです。
負けていることを認められないでいると、いつも他人に自分の価値を証明していなくてはなりません。しかしそんな態度では、ますます周囲の反発を買うことになりかねません。他人の成功が自分の価値を下げるように思えて、他人の成功に素直になれないでしょう。逆に他人の失敗が、自分の価値を上げるようにも思えるでしょう。そうなると、いつも他人の成功と失敗が気になってしかたがないのす。
まずは、今まで目をそむけていた「自分は負けている」という気持ちに気づくことです。不思議なもので、そうなるとそれまでの勝負へのこだわりが滑稽に思えるはずです。すると、勝ち負けと自分の価値とが別なものに感じられ、素直に負けを認めることもできるのです。
そうなってはじめて人は、他人の成功を心から喜び、また他人の不幸を心から哀しむことができるようになります。そしてそのような生き方からくる心の安らかさを味わうことができるのです。

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第2章 敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦いますー①

山ねずみが子供が小さいときに読んでおきたかった本があります。『アメリカインディアンの教え』です。

If a child lives with hostility, He learns to fight.

戦場にある心

 本章のテーマであるこの一文を見たとき、私は直ぐに「自分の弱みを他人に見せまいとして、虚勢を張っている人は、いつも戦場にいるようなものだ」という意味のウルフ(精神医学者)の言葉を思い出しました。このことは、虚栄心の強い人のことを考えるとよくわかります。
虚栄心の強い人は、多大なエネルギーを労費し、自分を大きく見せて相手を圧倒しようとします。いわば力の誇示ですが、実は心の底で、自分はつまらぬ人間だと思っているのです。

こんな人はまた、野心や名声にも固執します。それらが自分の無力感や孤立感を解消してくれるからです。恐ろしいことに、この栄光を求める心の中には、他人や世の中への復讐の衝動が隠れています。
敵意にみちた中で育ったり、無視されて育ったり、過保護過干渉のなかで親に束縛されて育ったりした人はどうでしょう。彼らは他人との心のつながりなどというものを信じることができません。ですから、挫折にあうと、つい復讐に心を奪われがちなのです。

ほんとうに安らぎを得るには    

 自分を実際以上に見せようとすることは、重荷を背負っているようなものです。ウルフは、金持ちになることで安心しようとする人のことを「それは一トン半もの重い鎧をみにつけた恐竜が、あの大昔の泥沼の中で生きるための戦いをしなければならなかったのと同じである」といっています。自分を守るために身につけた鎧のあまりの重さに、うっかりはまりこんだ沼地からぬけ出せなくて、かえって命を落としてしまった恐竜。人間でいえばこの鎧にあたるものがお金であり、地位だとウルフは言っています。
 ほんとうに心の安らぎを求めるなら、実際の自分のそのままに価値があることを見つけなければなりません。しかし、敵意に満ちたなかで育った子供には、とても困難なことです。

「アメリカインディアンの教え」(加藤諦三著・扶桑社

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子供の話に耳を傾けよう / ウェイトリー

山ねずみが子供が小さいときに読んでおきたかった本があります。『アメリカインディアンの教え』です。

子供の話を聞く大切さ

ここに、ウェイトリーの詩を紹介します。

   子供の話に耳を傾けよう。

きょう、少し
あなたの子どもが言おうとしていることに耳を傾けよう。

きょう、聞いてあげよう、あなたがどんなに忙しくても。
さもないと、いつか子どもはあなたの話を聞こうとしなくなる。

子どもの悩みや要求を聞いてあげよう。
どんなに些細な勝利の話も、どんなにささやかな行いもほめてあげよう。
おしゃべりを我慢して聞き、いっしょに大笑いしてあげよう。
子どもに何があったのか、何を求めているかを見つけてあげよう。

そして言ってあげよう、愛していると。毎晩毎晩。
叱ったあとは必ず抱きしめてやり、
「大丈夫だ」と言ってやろう。

子どもの悪い点ばかりをあげつらっていると、そうなってほしくないような人間になってしまう。
だが、同じ家族の一員なのが誇らしいと言ってやれば、
子どもは自分を成功者だと思って育つ。

きょう、少し
あなたの子どもが言おうとしていることに耳を傾けよう。

きょう、聞いてあげよう、あなたがどんなに忙しくても。
そうすれば、子どももあなたの話を聞きに戻ってくるだろう。

 

第1章 批判ばかり受けて育った子は非難ばかりしますー②

山ねずみが子供が小さいときに読んでおきたかった本があります。『アメリカインディアンの教え』です。

失望した子供はどうなるのか

 一方、いつも「ダメだねー」と批判された子供はどうなるのでしょうか。まず、いきすぎた批判で、子供は自分に失望していきます。するとその子供は次に、他人を攻撃することで、自分への失望と戦おうとするのです。親と同じように、他人への非難で自分がダメな人間だという思いから目をそらそうとします。他人を非難している限り自分が弱点のない人間であるような気になっていられるのです。

  困ったことに、こういう情緒的に未成熟な人というのは、しばしば同類と結びついて一緒に他人を非難します。仲間がいるぶん気楽なので、この傾向は強まります。確かに世の中には俗悪さが満ちあふれていますが、これではもちろん世の中がよくなることなどありえないし、自分が情緒的に成熟していくなど、望むべくもないでしょう。

たやすく迎合する子供

 批判されて自信を失った子供のすべてが、他人を非難するわけではありません。他人を非難しないような子供は、自分を攻撃するのです。他人を憎まないで、自分を憎むようになります。このような人は、自意識過剰で、いつも他人は自分を悪く思うと感じています。
悪いことに、彼らは、おしつけがましい利己主義者、冷たく身勝手な人、高慢で自己中心的な人、そんな人にまで迎合してしまいます。他人を非難するのではなく、逆に他人に迎合することで自分を守ろうとするのです。

『アメリカインディアンの教え』(加藤諦三著・扶桑社)  

第1章 批判ばかり受けて育った子は非難ばかりしますー①

山ねずみが子供が小さいときに読んでおきたかった本があります。『アメリカインディアンの教え』です。

If a child lives with criticism,
He learns to condemn.

あなたは自分に失望していないか

 心のどこかで自分に失望している人がいるとしましょう。その人も親になります。人情として、自分の子供に、親である自分がダメな人間だと示したくないのです。すると虚勢を張って自分が立派な人間であるというふりをします。自分がそれほど優れていないということを認められない親、こんな親が子供にいちばん批判的なのです。

子供の自然な成長を止めるな

 「鶏卵を見て時を告ぐるを望む」ということわざがあります。すでに鶏になったのならコケコッコーと鳴きもしましょうが、まだピヨピヨとも鳴かない卵にそれを期待するのは無理です。ところがこんなことを平気で望む親がいます。

 幼い頃はみな自分本位です。自分本位な行動から利己主義を昇華し、そして利他主義にめざめる、これが子供の自然な成長です。ところがそれを待てない親もいます。彼らは情緒的に未成熟なのです。
『アメリカインディアンの教え』(加藤諦三著・扶桑社)   

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はしがき

山ねずみが子供が小さいときに読んでおきたかった本があります。『アメリカインディアンの教え』です。

 私は、さまざまな人間関係の中で、親子関係は特に大切なものと考えています。それは、親子関係が、すべての人間関係のスタートになるからです。
「幼年時代が楽しいものであれば、その残照は一生涯消えないものであるし、その逆の場合は、苦い不快感が生涯を通じて後をひくものである」とヒルティー(モラリスト)は言っています。
  私は仕事場を網代の山腹に持っていますが、その近所に犬がすみついています。ある日、彼女(めす犬でした)は4匹の子犬を産みました。もともと彼女は、私を恐れてはいませんでしたが、私が子犬を抱いても平気でいるのには、正直驚きました。
  彼女が私の仕事場に来ると、いつもパンをあげることにしているのですが、子犬を産んでからというもの、全部のパンを子犬のところへ持っていくのです。自分はガリガリにやせているのに、乳を与えたうえにパンを持っていくのです。それほど愛している子犬なのに、その子犬を抱こうとする見知らぬ人間に対して警戒しないのです。
 彼女は、幼い頃から可愛がられて育った犬なのでしょう。野良犬には、いつもビクビクしているものもいます。そんな犬たちと彼女はどこか違うのでしょうか。それは、幼い頃の周囲の愛の違いなのです。

『アメリカインディアンの教え』(加藤諦三著・扶桑社)

アメリカインディアンの教え

 

 子供が小さいときに読んでおきたかった本があります。『アメリカインディアンの教え』(加藤諦三著・扶桑社)です。しばらくはこの本を読み返しながら、時々、息をすること、食べること、病気の予防のためにできることなど書きたいと思います。抜粋した文章はそのまま転記したいと思います。したがって、文中の「私」は山ねずみではありませんのであしからず。
 家事や仕事の隙間時間に、ハーブティーやコーヒーを飲みながらのぞいて見てください。

 でもその前に-。山ねずみが読み忘れていたこの本の胆(心)だと思う文章をあとがきから引用しておきます。

 この『インディアンの教え』の最後の文章の「愛」の直訳は「受け入れ」です。つまり「子供を受け入れる」という教えでもあります。自分が弱いにもかかわらず、それを受け入れられず強そうにする人はもちろん自分を受け入れていません。このような人は他人も受け入れられないでしょう。

 別の言葉で言えば、この教えを子供を操作するために使わないということです。こうすればこうなるから今こうすれば良いのだと子供を自分の都合良いように動かすためにインディアンの教えを使おうとする人は失敗するにちがいありません。そのような人は自分の心に葛藤があるからです。

「アメリカインディアンの教え」(加藤諦三著・扶桑社)